In memory of Jon Hiseman

私が初めてColosseumの曲を聴いたのは、1987年2月27日深夜、
"クロスオーバーイレブン"で流れた”Elegy”だった。軽快に走るドラム、ハスキーな歌声、鋭くリフを入れるサックス、少し霞んだ音像のオルガン、そして優雅なストリングス、私はColosseumがその時点で少々古臭いと思いながらも、その後30年以上も私の脳内から霧散することのない佳曲となった。

アルバムを丸ごと聴いたのは、”Elegy”を収めた”Valentine Suite”ではなあくて、その次のアルバムとなった"Daughter of Time"だった。1991年6月23日頃だと思う。気象庁のサイトで確認したけれどこの作品を初めて聴いた直後、東京は熱帯夜になった。この作品はとかく重厚な音だった。その厚みと気候の重さが重なったことを記憶している。Hisemanさんのドラムは、バスドラとロータムが重いのが特長だと理解するのに3年位かかったかな。それと、月並みながら当時の私は「大人のロック」だと感じていた。当時の私は既に、そのときのClemさんやMarkさんと同じ歳位だったんだけれどね。
そんな私が受けた感銘を、残念ながら大学で共有する人はいなかった。

”Valentine Suite”と1stの"Those Who are about to Die Salute You"は2枚1つになったのを、1992年12月の年末近い頃だった。こちらは、より生っぽい音でこちらも愛聴盤になったよ。"Kettle"は第1世代のハードロックと解して聴いていた。
それと、かなり後になってからだけれど、"Those Who are about to Die Salute You"に入っていた”Backwater Blues”はブルースを知るきっかけになったカヴァーだった。

最後に残った”Colosseum Live”は1993年2月末頃に聴いたのかな。〆になる”Lost Angeles”は最初聴いたとき原因不明の苦しい気分になったけれど、Hisemanさんのドラムが途方もないテンションで続くんだよ。私はColosseumがこの曲に全エネルギーを放出して解散したんだなって勝手に思うようになり、それ以来この曲聴くと泣くようになったよ。

2001年6月24日、国立競技場駅を降りたつとき聴いた”Downhill & Shadows”を聴いてふと涙が込み上げてきた。この曲を初めて聴いてちょうど10年後のことだった。

私が後追いで聴くようになった頃はColosseumを生で聴くことなんてないだろうなと思っていたんだけれど、世の中はわからないもので、それから間もなくしてColosseumは再結成したのだった。そして10年以上してColosseumが来日するのだった。私はHisemanさんに手紙を書いて(印刷だけれど)Club Cittaへ持っていったんだよ。

19日だけじゃなくて18日も行きたかったな。
"Those about to Die"では私だけが踊っていたかな。
”Lost Angeles”だけじゃなくて何曲かで泣いていたよ。
この頃、Club CittaのLiveのにぎにぎ会はデフォだった。全メンバーに話と握手ができた。Hisemanさんには、私がフルネーム(John Philip Hiseman)で書いて驚かれたけれどウィキペに載っているだけだけれどね。

次の年(2008年2月)にBarbara Thompson's Paraphernaliaで来日したとき、
Hisemanさんは私のことを「君は去年手紙をくれたよね」と覚えてくれていた。
会場を去るとき、少し離れてから手を振ったら手を振り返してくれた。

Colosseumの縁でいろんな方々と知り合うことができた。
私が結婚旅行でLondonに行っていたとき、Colosseumは最後のTourだったのだけれど、スケジュールの都合でLiveへ行くことはできなかった。

解散後、Colosseumの半分のメンバーでJCMを結成し、日本に来てくれると嬉しいなと期待していたのだけれど、それも叶わなくなった。このバンドで奏でることで追悼していた人達の方に、突然入ってしまった。

Hisemanさんは亡くなってしまったけれど、私はColosseumを中心に遺した遺産の数々を精神エネルギーにして生きていく。

今迄本当にありがとうございました。