25. June 2017*「井草川と縄文と」展@西荻窪 アトリエすゞ途

暗渠の人と遺跡発掘の人が共同開催した展示で、
河川があればそこには必然的に集落が発生する、
遺跡発掘の人からすれば何故ここに集落が?となるけれど、
暗渠と化した井草川の存在に気づけば合点が付く、という話。

井草川の流域はワイフさんが以前住んでいたところでもあったので、
そのあたりの話をしに2度目にして展示最終日に行ったのであった。

展示に参画された方の中には、「暗渠マニアック!」
https://www.amazon.co.jp/%E6%9A%97%E6%B8%A0%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%AF-%E5%90%89%E6%9D%91-%E7%94%9F/dp/4760146091
の著者である高山さん
http://lotus62.cocolog-nifty.com/
がおられ、私はBlogで何度かやり取りをさせて頂いていたが今回初めてお会いした。
暗渠ネタであれこれ話をしたのだけれど、お互い手を付けている資料は共通しているものが多く、その一方でお互いに補完することもあった。
高山さんには第2回プレゼン会(2016/10/30)で使用したパワポ(に補足したもの)を使って板橋区大山と今住んでいるあたりの話をさせて頂き、興味をお持ち頂いた。

暗渠に限らず過去の環境をVRで体験するようなことができないかどうか、
なんて話をした。別のVRのプロジェクト
https://www.facebook.com/strikeVR/
(私は顔本していませんから内容は読めておりませんw 体験会には参加したけれど)
をしている人がいますよ、という話にもなったけれど(笑)

私が郷土地誌を趣味としている根源

幼稚園の頃から地図を観るのが好きなガキだった訳だけれど、
自分の住んでいるところ(当時は板橋区大山付近)の歴史的な俯瞰を始めたのは、
小学3年の頃だった。小学3年になると昔の板橋区の地図や画像を拝める板橋区の地誌・地史を学ぶ教科書を渡され、学習するようになった。
板橋区大山は、私が住んでいた1970年代には既に巨大な商店街
http://haro.or.jp
に成長していたのだけれど、商店街は江戸時代から旧川越街道という街道筋であり、
川越や大山阿夫利神社へのお遍路といった人の往来があった訳で、後の発展への下地があった訳であった。
大山よりも北側に位置する高島平は既に巨大な団地が形成され、今では住民の高齢化並びに建屋の老朽化が問題視されるようになった訳だけれど、
高度成長期の途中迄は以下のような鷺が飛ぶような農村地帯であった:
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/94/7cb001c96912dc322e46b29248872843.jpg

このような都市化による居住地の変化をまのあたりにしたのが、郷土地誌への関心を大きくしていった要因であった。
そういえば私が通っていた板橋区立板橋第六小学校
http://www.ita.ed.jp/edu/ita6es/
の窓からは、建設中のサンシャイン60が伸びていく様が見えていたのだった。
すぐ後にこんな風に歌われているわけだけれどねw
https://phonon-belt.dreamwidth.org/12582.html

その興味は、大山から1991年末に引っ越し、今住んでいる練馬のあたりでも同じであった。
今住んでいるところも四半世紀で一気に変化していったけれど、
一部変化を拒む大山と一気に変化をしていった今のところの対比も興味深いものがあった。

郷土地誌の中でも暗渠探索は私には大きな関心を示す要素となっていった。
但し、池袋の北側に弧を描くように流れる谷端川、
並びに私が住んでいたアパートの前を流れていた(既に暗渠で跡形もなかったが)千川上水には
幼少の頃から関心を示す一方、私の今住んでいるあたり以外の場所の暗渠には、
ある一定の関心はもちろん示すのだけれど(昨年の年末に2泊した大阪茨木なんて淀川水系だらけだし)、
ちょっと手を抜いてしまう。やはり2つの故郷に根差したもの優先になる。それこそが私の郷土地誌の根源である。

アニメがなくても生きてはいける

奇しくも日本の最初のアニメが制作されて100年
https://www.youtube.com/watch?v=RNryy1uXEFU
このような仮説を頭に巡らせた直後に、何となくMXを付けたらやっていた"進撃の巨人"(実写版映画じゃないよ)を観ていた。毎週観てもいいかなと思う一方、HDD領域確保が煩わしい、視聴に時間を占有されるのがちょっとな、と思う。

アニメがなくても生きてはいける、という仮説について。

1921年に制作されたWalther Ruttmannのこれ

https://www.youtube.com/watch?v=aHZdDmYFZN0&feature=youtu.be
1924年に制作されたViking Eggelingのこれ
https://www.youtube.com/watch?v=KpCI67GMe7o&feature=youtu.be
Marcel Duchampの1926年のこれ
https://www.youtube.com/watch?v=dXINTf8kXCc&feature=youtu.be
抽象絵画が動画になったものなのだけれど、当時はアニメとは全くの別物だった筈。
これらの作品は基本的に手作業で描かれたものを集めたものなのだけれど、
コンピュータが使い物になってくるとCGに移行する作家も出現してきた。
John Wittneyの1972年のこの作品
https://www.youtube.com/watch?v=ZrKgyY5aDvA&feature=youtu.be
なんかそうかな。この人の1991年の晩年の作品
https://www.youtube.com/watch?v=L47GqolCGto
は、却って(当時というか20世紀の)PCの動画に収まった感がある。
2000年位になるとこうした抽象アニメと普通のアニメの境がだんだんと不明瞭になっていき、今やアニメはCGで作成するのが一般な訳だけれど、
そんな視点でアニメを観ているアニヲタってどれ位いるのかわからん。

The father of the first virtual drummer has died.

音楽に初めてリズムボックスを大々的に使った作品は、Slyの"暴動"かArthur Brown’s Kingdom Comeの”Journey”かと言われているが、どちらもドラマー不在(Slyに至ってはぼっち環境)で止むを得ずリズムボックスを導入したのであった。

Arthur先生がこの記事でサラッとリズムボックスの導入について記してある。
http://www.redbullmusicacademy.jp/jp/magazine/arthur-brown-interview
Kingdom Comeにもドラマーはいたのだけれど、2nd発表後脱退して空席になった。
そして後任のドラマーは、先日亡くなった梯さんのチームが開発したAce Toneだった。

Tainacoを四半世紀前にやったみたいなもんかな。

R.I.P

(以下、引用)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ03I6Q_T00C17A4000000/
梯郁太郎氏が死去 ローランド創業者、グラミー賞受賞
2017/4/3 13:40

電子楽器メーカーのローランド(浜松市)の創業者でグラミー賞を受賞した梯郁太郎(かけはし・いくたろう)氏が1日、87歳で死去したことが分かった。梯氏が会長を務めるATV(浜松市)は、家族葬ののちにコメントを発表するとしている。

梯氏は1972年にローランドを設立。電子ピアノやドラム、ギター・シンセサイザーなど世界に通用する電子楽器を数多く世界に送り出した。80年代に演奏情報を電子信号に変換して伝送するための世界共通の規格「MIDI(ミディ)」を生み出した功績が評価され、2013年に米グラミー賞のテクニカル・グラミー賞を個人としては日本人で初めて受賞した。

MIDIは「スタンダードがないと業界は発展しない」との信念のもと、無料で公開した。社内外で反対意見が多数あったが、結果として一気に世界で普及し、楽曲制作や音響、カラオケなど様々な場面で活用される「音楽の共通言語」のひとつとなった。

ヤマハの中田卓也社長は「長年にわたり電子楽器の普及に尽力され、業界の発展に大きく貢献された。心からご冥福をお祈りする」とコメントした。

(浜松支局 伊神賢人)

28. Mar. 2017* 故郷に立ち寄る

今日も内勤でつまらんが、しょうがない。
もうすぐ会社に入って22年目、学ぶことは増えていく。

ふらっと故郷である板橋区大山に立ち寄ることにした。
移動中、King Crimsonの(Chihiro S.さんからするとド○タクリムズン時代の、本能覚醒!モードのLive音源として名高い)"Earthbound"の感想Blogをあれこれを読んで都営三田線で大笑いするのを堪えていたw 特にひどいのがこのBlog...
http://blog.goo.ne.jp/shufu_no_teki/e/726b53b88ad5232fb996518a863f3897
最悪なメンバーの暴走(とはいえその中のMel Collinsは現メンバー)に疲弊しながらも、
コントラクト順守のために止む無くレコード化したら何割かのファンから絶賛され、Robert Frippもとうとう黒歴史扱いを解除し公式盤扱いするようになったとさ。

板橋区役所前で降りて千川上水の暗渠路(と言っても1930年代に暗渠になって殆どその痕跡もないただの道だが)を辿り、板橋第一中学校(私の母校)にある千川上水マンホールを越え、かつての私の家があったところを通り過ぎ、かつて千川上水踏切という名前の東武東上線の踏切を越えた(その名前を冠していたときに撮影しておけば良かった)。
実はこの千川上水が流れていた大山町の道は東京都が補助第26号線
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2015/02/20p2o100.htm

として道路建設を行おうとしている一方、ハッピーロード大山
http://haro.or.jp/
は商店街が分断されるということで半世紀近くの攻防が続いている。要はこの375m位の未整備のところがあるので補助第26号線が完成しないのだという訳。私としては、地下を潜らせてということはできないのかと思うのだが。

その、道路も貫通する旧川越街道(一部はハッピーロード大山)の大山町30番地付近

に、千川上水が流れ"大山橋"という橋がかつてかかっていた。
千川上水板橋区内の流域では1937年には暗渠になってしまったが、
1940年前後の武蔵学園の当時の生徒達が記録した資料
http://www.geocities.jp/sirakigi/senkawa61.html
として1939年の大山橋の画像が残されている。

ところがどうもこの画像は裏返しらしいことが当時の大山を知る人の証言
http://akatsuka-tokumaru.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_81e8.html
で判明し、 裏返した後で現在の情景と合わせるとピッタリ合う。


これをしたいがために故郷に戻った私・・・

ワイフさんには申し訳ないので修月堂本店
https://tabelog.com/tokyo/A1322/A132203/13145241/
で豆大福と桜餅をお土産に帰って帰宅。

*26. Mar. 2017* 王将会 @ 水道橋店

2月は急病で不参加だったので2か月振り。

いつもながら雑多な話が入れ替わり立ち代り。

久し振りにカラオケへ突入。セットリスト↓

1. YOU アイドルルネッサンス R
2. 喝采 ちあきなおみ P
3. 青空になる 橋本仁 L
4. タイムトラベル タイムトラベル R
5. Tシャツに口紅 シャネルズ P
6.ブランデーグラス 石原裕次郎 L
7. 異邦人 久保田早紀 R
8. ブラジル Geoff and Maria Muldaur P
9. 夢ん中 小林旭 L
10. 初恋 村下孝蔵 R
11. ドリフのバイのバイ ザ・ドリフター P
12. Going Back to China 安藤裕子 L
13. ガラスのジェネレーション 佐野元春 R
14. いのちの記憶 二階堂和美 P
15. 星のルージュリアン ユーミン L
16. ロング・バージョン 稲垣潤一 R
17. Hong Kong Night 松任谷正隆 P
18. ルパン三世のテーマ2 チャーリーコーセイ L
19. 気まぐれロマンティック いきものがかり R
20. 炎のたからもの ボビー P
21. ロボット刑事 あにき L
22. コネクト ClariS R
23. 行くぞ!BD7 P あにき
24. Excite 三浦大知 L
25. 愛は風まかせ 五十嵐浩晃 R
26. ADIOS 平沢さん P
27. 鏡花水月 The Shigotonin L
28. ブルー 渡辺真知子 R
29. 悲しくてやりきれない フォーククルセーダース P
30. 庭師KING 平沢さん L

P: Poppyさん、R: いつルリ師匠、L: 私

谷端川散策と通りすがりのヌコ達

3連休最後の日2017年3月21日は、谷端川の散策をしたいのですがと話したところ受け入れられ、
千川駅で降りた。案の定バカみたいに道に迷った。

私は方向音痴にして地理ヲタという同行者にとって迷惑な存在なのだ。
谷端川は後述の粟島神社の水源の少し北西側(今でいう東京地下鉄千川駅3番出口付近)
から千川上水から水を引き込んでいたので、千川上水のあたりも散策していた。
ワイフさんの目に止まったのは古びた喫茶店"ひじり湖"
https://tabelog.com/tokyo/A1322/A132202/13137489/
だった。

入ってみると昭和な喫茶店だったけれど、メニューにオプションとして
枝豆やメロンソーダがついてきてお得だった。

ワイフさんはこのアホな郷土地理ヲタにつき合わされた代わりにお気に入りの喫茶店が知れてよかったってw しかもここからのアングルだと千川上水暗渠の様子がいい感じに撮影できた。


谷端川は粟島神社という池のある神社の湧き水が水源となっていたので、
今回初めて(Q. つうか何故今迄行かなかったんだ? : A. 私がものぐさなだけ)
粟島神社へ行った。

こんな風に今も水源は生きていて池を満たし多分暗渠となった谷端川に埋め込まれた導管を通っているのだろう。

その後、蛇行する谷端川は端折り、要町駅の付近のあたりから板橋駅のあたり迄暗渠を歩いた。数多くのヌコ達に出会った。中には馴れ馴れしい奴もいた。